メンテナンスが大変だという大きな噴水や、子供のデスマスクの様な目を閉じた立体作品も展示してある。
奈良さんは愛知で美術予備校の講師をしていたこともあるそうなのだが、平面作品もそこにはやっぱり“石膏デッサン”の骨を感じるのだ。キャンバスの表面もツギハギだらけでボッコボコなのも沢山あった。平面作品こそ本物と対峙したときの良さが違う。作者と同じ位置に立つと生な気持ちが伝わって来る。
奈良さんの撮影した写真は子供が多い。(あえて選んだのかもしれないけれど)興味の関心所は子供らしい。
でも奈良さんの描く子供は子供というより餓鬼で単なる体の小さき者で、体がバカデカクなってしまった自分も忘れないでいたい同じ気持ちを持つ者の姿だ。そこがチャーム・ポイントだ。
引き出しの奥から発掘されたという、ノートの切れ端のスケッチ群を机に並べた展示を観て、ココから大きな作品に昇華できるかそうでナイかが分かれ道なのだなあ。とセート諸君の傑作落書きの数々を想い出して思う。
奈良さんは愛知で美術予備校の講師をしていたこともあるそうなのだが、平面作品もそこにはやっぱり“石膏デッサン”の骨を感じるのだ。キャンバスの表面もツギハギだらけでボッコボコなのも沢山あった。平面作品こそ本物と対峙したときの良さが違う。作者と同じ位置に立つと生な気持ちが伝わって来る。
奈良さんの撮影した写真は子供が多い。(あえて選んだのかもしれないけれど)興味の関心所は子供らしい。
でも奈良さんの描く子供は子供というより餓鬼で単なる体の小さき者で、体がバカデカクなってしまった自分も忘れないでいたい同じ気持ちを持つ者の姿だ。そこがチャーム・ポイントだ。
引き出しの奥から発掘されたという、ノートの切れ端のスケッチ群を机に並べた展示を観て、ココから大きな作品に昇華できるかそうでナイかが分かれ道なのだなあ。とセート諸君の傑作落書きの数々を想い出して思う。
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