『昔の悪事』を話す人より楽しそうなものも無い。 

Dr.LICS名でギター教本を書いていたアラン・スラッキーがFUNK BROTHERSのベース、ジェイムス・ジェイダーソンを調べえがいた作品の原題は『Standing in the shadows of Motown』(フォートップス66年の『Standing in the shadows of LOVE』に依るものだそう)と暗い。

 が、栄光の只中でそれを支えながら陽の目を見なかったモータウン・ソングの演奏者、おじいちゃんになったFUNK BROTHERSは、低賃金での過酷な演奏活動、それでも大成功を収めたのもつかの間、勝手にモータウンはロスに引っ越しちゃったりと不当な解雇状況の過去を、それらを乗り越えヒットソングをつくりあげたアイディアや悪戯を笑いながら話す。
人間くさい笑顔とFUNKYな笑い声。悲しみをGROOVEに代える錬金術。(余談。私、受験期迄、高校で覚えた英単語なんてFUNKYとGROOVEくらいだった気がする。)

私は映画は苦手だけど、影響力が大きいのは確か。
このドキュメント作品で世に知れたFUNK BROTHERSは正等な評価を勝ち得たのです。
Mの文字が印刷されたCDはよく聴くのに、LIVEは殆ど観た事なかった私としては、ブーティー・コリンズやマーサ・リーヴスの歌う姿を観れ『こ、これか...』と。チャカ・カーンばっちゃんになっても本当かわいい!!『Ain’t No MOUNTAIN HIGH ENOUGH』泣けるよ。(マーヴィン・ゲイのもいいけど)

 付き合いや流行話に合わせる為でなくて、文房具屋の有線で流れていた『WHAT’S GOING ON』がもう一度聴きたくてやっと探しあてた昔を思い出す。彼らが初めてクレジットに名前が載った一枚。
 まだアパルトヘイトが行われていた時代にあって唯一白人のメンバー、ボブ・バビットの存在や、ベトナム戦争中のアメリカ社会での活動。黒人音楽が当たり前の世の中で育ってしまったのですが、それの為に戦った人が沢山居ての今なのだなあ。と感謝の気持ちです。モータウンの歴史は音楽の歴史だけでは語れないんだ。
人種差別や社会問題を、全てあたたかい音楽で蹴散らした人達がほんとうにいるのだ。
それって、すげい。参考文献:この映画のカタログ
http://www5.wind.ne.jp/tcc/
今月に出来たばかりの新しい館です。今迄場所が無くてあちこちの公共施設で開催されていた高崎映画祭のスタッフがNPOで立ち上げた館だそうです。
映画ベタなんですがコレはみたい。
http://www.asahi.com/culture/update/1202/008.html家帰ったら母が開口いっぱつ『たけしが教授だって』っていうから、誰かと思えばたけちゃんマンのことかあ。TVタックルの調子で教鞭とるのだろうか?http://bb.goo.ne.jp/contents/FJTFNN/FJTFNN200412020045/index.html?from=bsearchこの人が初めて映画を撮ったとき、あーだこーだ言ってた人の事を思い出し、やりたい事はとにかく始めてやり続けることが一番ですな。と。完全燃焼あるのみ。笑。どこで行き果てても皆同じ。私は←のフリスビーが飛ぶ場面が異常に好きだったらしく、連続写真を撮った痕跡があります。結構こりゃ朗報だせ、つー。
はたと気が付けば三谷幸喜の映画は全部スクリーンで観ている。って三作ですが。
舞台畑故の映画のセオリーをうちやぶったなんたらかんたらは、お芝居自体が先入観で鼻白む私にとってどーでもいい。
そうしてお笑いで笑うのは、くやしい。お笑いって実は人が笑う事から最も裏に位置するものだと決め付けている。しかし負けました。わらったまま泣きました。
多分、笑いが必要だという人も、お笑いなんて要らないものだという人も、その理由は一緒なんだなあ。と、やさしい気持ちになれました。『笑いはセンス。』とはエノケンの座付作家、菊谷がモデルの椿の台詞にして、脚本家三谷幸喜の言葉ですが。三谷幸喜センスいいや。作中の言葉遊びにも笑ったけれど、笑いは駄洒落やギャグの中なんかには本当はなくて、人を楽しくしたい、心を開かせて仲良くしたい。という暖かい気持ちに口元がゆるむのではないかとおもーう。3作彼の映画を観て、話の鍵が、老人や頑固な堅物が能力を開花させる所にあるもの大好きです。きっと彼も映画の『12人の怒れる男』が好きに違いない。と含み笑う。(この映画の“もじり”『12人の優しい日本人』を東京サンシャイン・ボーイズでやってるんですね。)http://warainodaigaku.nifty.com/
〜これから御覧になる方へ〜
誰だか解らなくなるくらい変化する役所広司の顔必見です。
〜かなり私的な楽しんだポイント〜
常盤貴子と共演した“GATSBY"のcm(この整髪料を使用してキメキメで現れた稲垣五郎にツレナイ反応を示す常盤貴子)『これも駄目なのか〜』でみせたゴローちゃん走りを彷彿させる稲垣五郎の去り様
わたし、SMAPでは公証、稲垣五郎ファンであります。(女子として口裏合わせるために。) 
『間違えられた男』
雑誌『LIFE』発表された実話を元に、ヒッチコックが撮りあげたドキュメンタリー作品。実際に事件に絡んだ人物が多数登場している。
これって、その昔もてはやされた映画なんでしょー。コレで面白いなんて随分娯楽が少なかったんだなあ。錯乱していく人物の巧みな心理描写⇒ってただグルグルカメラ回してるだけかとおもう。理由は不明で今後の課題だけど、この手の映画はナニモノにも感情移入ができない。
しかし、全作品自作に登場しているヒッチコックの顔が私は好き。アコガレのふてぶてしさ。映画の良し悪しは兎も角、彼の顔の訳が少しは探れるんじゃないのかといった動機で、時々手に取る。
http://www.swinggirls.jp/index.html
エンドロールのミッキー吉野の文字に、覚醒剤から更生する人間のドラマに最も感動した。
 一緒に観た人は、実際に映画の中の2両編制の電車(フラワー長井)に乗っていたそうで、故郷を懐かしみ、いい顔になり、もらいHAPPYで★★★☆☆
 このての映画は私の中で竹中直人が燻銀の映画というジャンルで括られている。
 ほんとうに楽器のできなかった子達がラストで感動的なSWINGを聴かせるのには拍手を贈りたいが、どーも『ウォーター・ボーイズ』もそうなのですが、こってこての山形弁と典型的過ぎのにっぽん田園風景も少々及ばず、普通が普通過ぎて物足りないのと、誇張がちょっとそれに対して中途半端で妙な違和感が私には残った。
 猪撃退の場面はジャズが効果的に使われて、最高スマートだったけれど、女子高生の煩さがリアルで不快。シールベタベタのimacやルーズソックスにアバクロも、後5年くらい寝かせて観たらまた灰汁が抜けて別の味わいがありそう。
ジャズにのめり込む場面をもっと上手くみせてくれればラストシーンがもっと活きたのにな。と思う。僭越ながら。
映画になったそうで。らもさんは試写、見れて号泣だったらしいです。想像力を鍛えるなら文字だけの世界で展開される小説が一番だと思う。TV畑の監督がどんな映像で文字と文字の間を埋めてくれるか?『セカチュー』は鼻で一蹴しても、ビンボー親子もん(TVドラマの『人間失格』や『クレイマー、クレイマー』『泥の川』はないたぞ)はなけます。今日注文して取りに行く途中、猛烈な腹痛に見舞われ断念。明日こそ必ず!http://www.cqn.co.jp/backdrop/
Kちゃんとみました、Kちゃんは片桐仁の女の子版っておもう。
似てる。
ねっころがってビデオ見つつぷーできるのもKちゃん
くらいですね…。
また寄せてね…。
この映画のロケ現場に連れて行かれたことがある。
5年前かな。(みきさん相変わらずなんだろな)

廃校になった分校。
そこで本を拾った。
『小学館 学習図鑑シリーズ24巻 機械の図鑑』
コレの機械の描写が現世で失われた職人芸なのだ。
緻密な機械の仕組みの描写に感心して、湿ってたけれど
今も本棚に鎮座。
しかもこれは
行き過ぎた生真面目が生じさせる笑い
という最高峰の笑いを運んでくれる☆彡
あははは
コレの前には細川徹(細谷ゲンと間違えた)も確信犯でお縄です。

これのイラストレーターは機械は見事なまでに正確に描くが
人物画までもがどこか機械的で、そこが一個笑いのツボ。

おかしさの山は『ヘロンの蒸気タービン』
これは私はこの本で初めて知ったのだが
挿絵が明らかに怪しい。
ADSL開通の今検索をかけてみる。
と、こんなん(無断転載ごめんなさい)↓
http://www.gijyutu.com/kyouzai/kikai/jyouki.html
蒸気の吹き出る勢いでタービンを回すといものなのだが…。

この図鑑では、石膏像のジョルジョみたいな
トルソーの胸像鋳造の口にストローが咥えさせられ、
そこから蒸気が噴出し、歯車を回している図だ。
しかも!おっちゃんの像は焚き火の直火にかけられている。

明らかに違う…。
もはや絶版のこれ、何処に異議申し立てたところで
このおっちゃんの像に似た作者を非難できるひとはおるまい。

昭和37年発刊のこれ、読んだ子供はどんなおっちゃんに
成り果てているだろうか…。
美術もかつてオリンピック種目であった。
その優越の判断基準が曖昧なめ廃止されてしまったが。

しかし、現在もベネチア・ビエンナーレを筆頭に、、
国境を越え、人種文化が入り乱れるアートの
国際交流展が催されている。

これは95年のベネチアビエンナーレを受賞した作品だ。

廃墟にガラクタで組まれた『装置の顛末』を
カメラが淡々と追う次第。

古タイヤがぽくぽく転がり、
ボロ布に勢い良く点火し、
ブリキのバケツに石が落っこちる。
塵芥が緩やかに作用し巡回する顛末。

名古屋の小さなギャラリーで海を背景に観た。

そんな思い出ともあいまって、
こころが落ち着く。

カノッサの屈辱

2004年2月22日 映画
これは高校の時、深夜にやっていた番組だ。
ローマ法王がえらくなっちゃったことの証明事件がタイトルのこの番組は
その他、歴史事件、科学法則でくるんで、
現在の社会事情を紹介するのだ。

『あっ、勉強ってこのためにするのか!』と
思わせてくれた番組だな。
あと、『クイズ早く言ってよ』が
あたしのテスト前、向学心を奮いたたせてくれた番組。
Kせんせにビデオを借りた。
『俺達は志士じゃないbyキャラメル・ボックス』
新撰組のお芝居だった。

会話のテンポがものすごく良いので、自分の感想挟む間も無く
話に引き込まれた。

言葉の音を重ねただけの、所謂『おっちゃんギャク』も
ついついわらってしまう。
(しかし文字の囚われ人、文学者や小説家の集まりでは、
コレの応酬に終始するらしー。)

Kせんせとは最近うちとけてきた。
ら、転勤するそう。
オンナオンナしてなくて楽だったんだけどなー。
大学の時は演劇サークルに入っていて、
ケーブルテレビで録画したこの劇団の
テープは20巻に及ぶそう。

たまに映画をみると、大仰なカメラワークに笑ってしまう事がある。
自分の日常は、ピンポイント視線で物を見ることが多いけれど。

お芝居って絵巻物みたいだな。

あまりホントの日常がドラマチックで展開速いのは困るけど。

いつかどこかで味わった感情が揺り起こされて、
懐かしい暖かさが少し残る。
春らしい感情の温度だ。
(書いた日20日)
日本の裁判制度が良く解かってなかったらしい。
陪審員にあたるモノが、11人で構成されているらしい。

映画はあまり詳しくないけれど、
これはBEST10に入る。
画像はカラーになっているけれど、
モノクロの方がこの物語の核心を味わえると思う。

場面転換が殆どなく、登場人物の会話のシーンで進んでいく。
単調な場面が会話で緩やかに熱くなって、
老人の陪審員が記憶を掘り起こして発言するクライマックスは
スポーツの逆転劇に似た、昂揚感につつまれる。

怒りの感情を破壊に向けず、更なる飛躍に使える術があれば、
人生を乗り切るのにこんなに有益な事はないだろう。

でも…。修行が足りないときは、成熟を寝て待とう。

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↑の文と別に全然関係ないっすけど
お芝居の見学に行った。
演じ手が変わるだけでこんなに芝居の全体の雰囲気が
変化するのを実感して。
日々の日常を大切に、ご飯を食べようと思った。
(am・pmの海老まん。おいしー。でもあの店員、チョコも袋、一緒にすな!)
お味噌汁の具が変わる様な事かな?
味付けが全く変わる。人ってほんとう不思議だ。

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