好きな美術館がいくつかあるんですが、名古屋市美はそのうちの1つ。
活動が好ましい。『常設展示作品を二つの作品を比べることにより鑑賞しよう』というワークシートを配布して鑑賞を促していた。
ので、久野利博の作品と、夏に観たヴォルフガング・ライプhttp://www.momat.go.jp/Wolfgang_Laib/wolfgang_laib.htmlと比較して味わいたい。
会場に入ると“穀物”の香がする。精米が黒い鉄のお皿に盛られて壁に一列に据え置かれているからだ。会場は漆黒の素材で統一されたInstallation作品だった。立ち現われた空間は“日本の農耕現場”といったところである。ヴォルフガング・ライプは“一面の菜の花”を描くよりも鮮やかに覚醒させてくれた。
最近は具象絵画が復活しているけれど、フツウの絵画も広義でいえばインスタレーションだそうで。
Installationインスタレーション一般的に設置することを意味する普通名詞であるが、70年代以降、「絵画」や「彫刻」といった指示句では一括できない作品を指示する際に、多く用いられるようになった用語である。
この言葉の出現の経緯は、R・モリスにより提示された、インティメイトとパブリックの問題まで遡るべきであろう。要は作品の成立において、それが作品の内的な関係によってなされるのか、作品と作品を取り巻く外的な要因との相互の関係によってなされるのかという問題である。こうした議論は一方で、M・フリードの「芸術と客体性」においてモリスをはじめとするミニマリズムへの批判として議論がなされ、問題を提示している。当然のことながらこうした議論はミニマリズム以降のアースワークやポスト・ミニマリズムにおいても重要な問題として機能した。特にこの時期より活発化した、作品とサイト・スペシフィシティーとの関係といった議論に沿って制作される作品群を語る過程で、ジャーナリストが事後的にインスタレーションという用語を使用し始めたものと考えられている。しかし一方で、インスタレーションという用語はある特定の場所に対して作品を設置することについての議論を何らかのかたちで代理するが、この議論のなかでの「場所」もしくは「作品」への解釈が一定しないために結果として現在、非常に広範にかつ曖昧なかたちでしか使用されておらず、多くの場合、議論の中心となった問題への関心を欠いたかたちでこの用語だけがただ流通しているという側面が強い。(森大志郎)
私的に要約すると展示空間を意識した作品で、いーと思うんです。で、鑑賞者の五感を刺激することをより意識した作品。が絵画との境界線かなー。と。
1970年代から始まったそうですが、代表作家や前述の二人の祖はやはり、ヨーゼフ・ボイスでしょー。
ボイスは自分命を救ってくれた素材を彼のセンスで美術空間に提示するのです。そう。インスタレーションは『美術館』等の“展示スペースの確固たる存在”が大前提にあり、“其処で失われかけた感覚を覚醒することが命題”の様に思える。しかしその配置はあくまで絵画的構図に則っているのです。
カナリ大掛かりなので最近は下火なスタイルだとしても、この概念は全ての視覚芸術に有効な、20世紀美術の革新だと思う。

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